首里城が全焼!?その真相とは?!#えぶニュース
こんにちは、球技大会のおかげで筋肉痛がやばいからえぶです😅
これから えぶニュース ということで、身の回りで起こっていることを私なりに解説する新カテゴリでいきたいと思います!
というわけで今日のニュースへどうぞ!!↓↓↓↓↓↓
目次
そもそも首里城ってどんなところ?
首里城は、明治時代になるまで琉球王国の政治と文化の中心として利用されていました。
太平洋戦争末期の沖縄戦で一度焼失してしまいましたが、1986年に国が復元を決め、およそ30年かけて全容をほぼ取り戻しました。計算すると2016年に完成した計算になりますね(3年しか経っていなかったんですね・・・)
そして2000年に日本で11番目の世界遺産に登録されます。
首里城自体もさらに整備されていき、歴史的に重要な物たちの展示も行われていました。
また、10月27日から「首里城祭」が行われており、周囲はお祝いムードに包まれていました。
↑首里城の地図。
首里城が炎上・・・出火までの経緯は?
そんなお祝いムードが一変したのが31日。私たちに衝撃的なニュースが入ってきました。
なんと首里城の正殿や北殿、南殿、番所などが全焼してしまったというのです。
事の始まりは、31日の午前2時40分ごろ、警備員さんなどの目撃情報などから正殿内部から出火したとみられています。
首里城では、上にも書いているように10月27日から「首里城祭」が行われており、出火する1時間前ほどまで関係者が準備作業をしていたそうですが、火気は使用しておらず、正殿の中にも入っていなかったとのこと。
(原因についての詳しい考察は下で↓)
出火した後近くにいた警備員さんらが必死に消火器で消火しようとしたが、火の勢いが強すぎて消せず・・・
すぐに燃え広がり、隣接する建物も焼けていったということです。
燃え広がってから首里城が焼失するまで
午前3時前に出火した後、火はみるみる燃え広がり、朝7時ごろには北殿も全焼。
それでも火は止まらず、南殿や番所も全焼。
さらに、ほかのさまざまな場所も全焼まではいかなかったものの焼損。
沖縄県民を始め日本中、いや世界中の人々が落胆したことでしょう。
上の写真と見比べてみてください。
火災の原因は??
なんで出火したの??
なぜ出火したのでしょうか。その理由は公式には明かされていませんが、自然に出火したとは考えにくいです。だとしたら、やはり放火?全く真相は明かされていません。ただ、あるYouTuberの人が「自分が放火したんだ!」的な意味不明な発言をしているらしく、気になるところではありますね(ただの目立ちたがりだとは思うのですが...)
私が思うに、放火か自然出火かどちらかと言われたら放火の可能性が高いと思います(証拠ないので信じないでくださいw)が、本当のところはどっちなのか何も証拠はありません。
なんであそこまで燃え広がったの??
私が「なぜあそこまで燃え広がったのか」については、いくつかの理由があると考えています。
1.全部木造だった。
ちょっと前に火災で話題になったノートルダム大聖堂(フランス)では、焼けてしまったもののそこまで広まりませんでした。
首里城と違うところは、ノートルダムは基本的には石でできていたということです。
ノートルダム大聖堂の場合、裏で木が一部使われていたものの、基本的には石造りでした。しかし、首里城は完全に木造だったので、燃えやすく広がりやすかったと考えられます。
2.漆が塗られていた。
首里城のあの赤色は、基本的には漆が塗られています。
漆は、ツルツルしてるので水が染み込みづらく、消火を妨げ、延焼を早めた可能性もあると考えられます。
3.首里城の位置する地形。
首里城は、高台の入り組んだ道路の上に位置しています。
高台での消火活動は、放水のための水圧を保つのが平地よりも難しいそうで、地形も消火活動を妨げる原因になったとも考えられます。
今後どうすんの?
沖縄県知事の玉城デニー氏は今回の火災を受けて「必ず復元する」と発言。
復元はする見込みのようですが、前回復元するときに30年もかかってしまってるのに、本当にできるのでしょうか...
そして、莫大なお金もかかってしまいます。
まあ、守礼門などは残っていますし、今ある建物だけでも保ち続けて欲しいですね。
もし原因が放火なら、私が思うことはただ1つ。
放火するんじゃねえ。何も利益ないだろ。
【 続報】
首里城ですが、焦げた分電盤が発見されました。どうやら電気関係がショートしてしまい、そこから燃えたようですね。
また、延焼を防ぐためのスプリンクラーが未設置だったりしたこともさらなる原因だったようですね。
首里城に関しては、公的機関が募金を開始しました。みなさん募金しましょう!